わたしと心疾患の娘との日々

離婚協議のためにすることや心疾患の娘との日々を綴ります

右往左往

仕事を辞めました。
といってもパートタイムなので誰にも何も言われることなく辞められて良かったのかもしれない。

まず異変が起こったのは私の体。
いきなり熱が出てそれから数週間微妙な熱とともに喘息のような咳が1ヶ月ほど続いた。一応の診断名はアトピー性咳嗽というものだ。ちゃんと直さないと喘息に移行することもあるとのこと。


次の事件は娘の病院で起こった。
娘の病院に行くと保険証が使えませんと言われる。あーやられたなと思いながらもじわじわと衝撃が広がる。娘が熱性けいれんで救急車で運ばれて、肺炎と診断されて血小板減少が検査でわかり、その後もいくつも検査をして、痛い思いもしんどいことも元夫にとってはどうでもよくて、ただこれが復讐に仕えることだけを知っていたのだと気付いてしまった。
大方の人から見たらこの私の心の動きは大げさだと感じるだろう。そうやって、大げさな反応だな、と取れることを少しずつ少しずつしていくのが元夫だ。
これで気持ちが落ち込んでしまい、鬱が悪化した。

娘を産んだ時から覚悟はしていたけど、私のキャリアは25歳から止まったままだ。パートタイムをつないでなんとなく社会と接点を持ったつもりになっても、それは社会からしたらなんでもないことなのだ。

俺と同じだけ稼いでこい、早く元夫からも言われた。メンヘラとは話したくない(笑)とも。
数ヶ月ごとの娘の検診(複数の科)、突発的な体調不良、自分の精神科受診、娘の療育(ほぼ平日のみ。土曜日はすぐ埋まる)

それ以外にも日常的に癇癪を起こす娘との毎日、意思疎通に困難がある娘との時間は辛い瞬間が点在してる。


どこからにこれをまるっと解決してくれるものはないかなと考えちゃう。色々複雑なんだよね。

そんなことをまるっと解決してくれるのがお金だよね。ほんとお金大好き❤

ともいかないので役所のソーシャルワーカーを派遣してくれる場所に連絡をしてみた。もともと娘の病院とコウノドリでその存在を知っていたのだけど、ふつうに役所でもその専門家の方々がいると思ってなかったので期待が高まっている。何かしらの方向性が自分の中にできたらいいなと思う。


いろんな支援があってもたどり着かない人の中には、一度役所の窓口に行って心無い言葉を投げかけられたという人が少なくない。
私もひとり親という差別はここから始まっているんだなと感じたものだ。


私の人生はこうなることを予想していたのだろうか。自己責任と言われたらそれはそうだ。