わたしと心疾患の娘との日々

離婚協議のためにすることや心疾患の娘との日々を綴ります

保育所等訪問支援1回目とセルフプラン再び

保育所等訪問支援がコロナでのびのびになっていたけど、やっと第一回が行われた!


大体月に2日ほど数時間見てくれるみたい。発達支援の場と保育園では見せる顔が違うからか、いつもの支援者が来てくれたにもかかわらず照れまくっていつも取らないような行動が多々あったよう。回数を重ねていくごとに慣れてくれるといいなと思いつつ様子を見ることに🙏



そして発達支援と保育所等訪問支援の施設に通うための通所許可証のセルフプランを書く季節が再びやってきた🤦‍♀️プランを書いてくれる業者?がいっぱいと聞いて私は自分で書くことにして毎年更新のたびに書くことになる。


初めは役所に行って、おそらく福祉系の窓口のどこかでもらえるので申請に必要な書類をそこでもらって、書くことになる。窓口に持っていくと親切に教えてもらえると思うのでどうしても分からないところはそこで聞いたら大丈夫だと思う!

2回目以降は郵送で送られてくるのでそれを埋めていくのだけど、初めに書いた障害児支援利用計画の部分は特に写真保存しておくと次から楽(当たり前かw


そんなこんなで今年も更新して支援を利用させてもらうことにする!この一年の成長が半端ないので、また一年娘の発達がどう言う経過を辿るのか楽しみに見守っていきたい😊



娘4歳

毎日わたしの忍耐が試されている。

 

朝から靴を履くか履かないか、保育園の前で隠れる仕草、保育園の玄関で靴をなかなか脱がないなどなど子供の中のハードルを一つずつ超えてやっと保育園のお部屋に入るのだろうなと思いつつもサッと入ってもらって、ぱっと仕事に行きたい母の葛藤は続く。

 

これに加えて最近の口癖が「やだよーべー」「やだよっぺっ」と言うものなのでもう何もかも放棄して涼しいお店に入って、アイスティーとパンとかを楽しんでから正気に戻って帰宅することにしてる。

 

「子供は親を怒らせることをする」と聞いてからたしかになーと思った。わたしのことをよく観察してるんだから子にはわたしのツボはお見通しだよね。ほんとよくわかってる。唾飛ばすのはやめてほしい。

 

保育所等訪問支援!

娘の通っている療育施設で「保育所等訪問支援」が始まる。

 

未就学児から18歳までが対象で、うちの娘は保育園に登園してるので、そこに療育の先生が行って2時間から半日娘の様子を見てくれるのだそう。

 

まず保育園に相談なんだけど、できればこれ使いたいな。受給者証の範囲内でこの支援が受けられるそう。

半年間のわたし

昨年の9月からのアラビア語コースに通う予定が学校がなくなってしまったため、やることがなくなったため結局3月からまた働くことにした。

 

それと同時にそろそろ恋愛してみるかと思って知り合った人と恋愛をしてみることにした。バツイチで子供のいる人だった。最初からなんだか複雑な人だったが最後はお互いに心を病むような形で終わってしまい、不本意な終わりではあったが恋愛復帰を果たした。

 

毎日連絡をとって、話していた人が生活から消えると寂しいけど日常に戻るだけと言い聞かせる。

 

子供の寝息を聞きながら心臓の音を確認する時が一番安心する。

お久しぶりです!Violaアカウントを消しました。

心疾患やシングルマザー、サレ妻でつながっていた私の大好きなアカウントを消しました。

 

一番は共同親権推進派による嫌がらせによるものです。

子どもの安全と自分の新たな人生を望むことはそんなにいけないことでしょうか。

共同親権とは日本では犯罪に片足突っ込んでいる方の運動です。(実際に犯罪加害者もいます)

 

コロナが流行してパンデミックになっている中で面会交流が延期になることにいら立ちを隠さない共同親権推進派には、今一度子どもの命に対して考えてほしいです。代替案を出したところで一日一日がどうなるかわからない日々です。同先のことを考えるのでしょうか。それに日程調整は同居親だけの仕事なのでしょうか。命があってこそです。

 

共同親権に関して私が今後表立ってかかわることはないと思うのでもう二度と推進派には話しかけてこないでほしいです。

 

 

さて私と娘の生活ですが、3月末からやっと療育に通うことができるようになりました涙

民間の療育機関を探してお話を聞きに行くと新しくできたばかりとのことで、土曜日が空いていた!ラッキーでした。

 

診断を受けるための病院もその施設が探してくれて一番サポートしてもらったように感じます。役所にもほかの福祉も頼ったけど具体的なサポートとはいかず、とても悩みました。保育園もやめてほしい言わんばかりの対応だったため、仕事にも行けなくなり精神的にも追い詰められて鬱とパニックが悪化したという....そんな時にこの療育機関を見つけて生活のことから保育園のことから児童発達の病院のことから相談に乗ってもらえてすごく安堵したのを覚えています。

 

そういうわけで週一で療育に通っていて今月からは少しずつ増やしてまずは週二で頑張ってみます!

 

もしまたつながってもいいよって方は教えてください!ひっそりと新しいアカウントを作っておりますww

 

 

 

 

定期検診

娘の定期検診に行ってきた。


まだ心室に穴はあるものの半年後に再度経過観察の予約をして終了。


血小板も低いものの一定の数値を超えたのでまた3ヶ月後。遺伝科も!


遺伝子検査については今後は両親と子供が揃ってないと検査できないとのことなので今後必要になったら元夫と連絡を取ることになる。(気が重いが、なんとなく大丈夫になって検査必要ないということになりそうな予感)


多くの方々に見守ってもらいここまで大きくなった娘もなんと14キロに突入していた。成長曲線もいい感じと血液種の医師から説明があり一安心。


療育の通所許可がまだおりないのだけちょっと苛立つ。はやく許可してくれないとまた施設探し直しすることになるじゃん!!



右往左往

仕事を辞めました。
といってもパートタイムなので誰にも何も言われることなく辞められて良かったのかもしれない。

まず異変が起こったのは私の体。
いきなり熱が出てそれから数週間微妙な熱とともに喘息のような咳が1ヶ月ほど続いた。一応の診断名はアトピー性咳嗽というものだ。ちゃんと直さないと喘息に移行することもあるとのこと。


次の事件は娘の病院で起こった。
娘の病院に行くと保険証が使えませんと言われる。あーやられたなと思いながらもじわじわと衝撃が広がる。娘が熱性けいれんで救急車で運ばれて、肺炎と診断されて血小板減少が検査でわかり、その後もいくつも検査をして、痛い思いもしんどいことも元夫にとってはどうでもよくて、ただこれが復讐に仕えることだけを知っていたのだと気付いてしまった。
大方の人から見たらこの私の心の動きは大げさだと感じるだろう。そうやって、大げさな反応だな、と取れることを少しずつ少しずつしていくのが元夫だ。
これで気持ちが落ち込んでしまい、鬱が悪化した。

娘を産んだ時から覚悟はしていたけど、私のキャリアは25歳から止まったままだ。パートタイムをつないでなんとなく社会と接点を持ったつもりになっても、それは社会からしたらなんでもないことなのだ。

俺と同じだけ稼いでこい、早く元夫からも言われた。メンヘラとは話したくない(笑)とも。
数ヶ月ごとの娘の検診(複数の科)、突発的な体調不良、自分の精神科受診、娘の療育(ほぼ平日のみ。土曜日はすぐ埋まる)

それ以外にも日常的に癇癪を起こす娘との毎日、意思疎通に困難がある娘との時間は辛い瞬間が点在してる。


どこからにこれをまるっと解決してくれるものはないかなと考えちゃう。色々複雑なんだよね。

そんなことをまるっと解決してくれるのがお金だよね。ほんとお金大好き❤

ともいかないので役所のソーシャルワーカーを派遣してくれる場所に連絡をしてみた。もともと娘の病院とコウノドリでその存在を知っていたのだけど、ふつうに役所でもその専門家の方々がいると思ってなかったので期待が高まっている。何かしらの方向性が自分の中にできたらいいなと思う。


いろんな支援があってもたどり着かない人の中には、一度役所の窓口に行って心無い言葉を投げかけられたという人が少なくない。
私もひとり親という差別はここから始まっているんだなと感じたものだ。


私の人生はこうなることを予想していたのだろうか。自己責任と言われたらそれはそうだ。